「島留学」したパイセンに話聞いてみた!

「島留学」したパイセンに話聞いてみた!

9期のつかです!
今回は、地域みらい留学で島根県立隠岐島前高校に留学された方にお話をうかがいました!

 

地域みらい留学とは?

(公式ホームページより引用)

中学卒業後3年間地域で過ごす「地域みらい留学 高校進学」、
高校2年生時に1年間地域で過ごす「地域みらい留学 高2留学」という
2つの制度をご用意してます。

ちなみに隠岐島前高校は、「中3対象」「高1対象」
詳しくはこちら→地域みらい留学  公式HP

 

自己紹介

–自己紹介をお願いします。

前田 陽汰と申します。地域みらい留学をして、隠岐島前高校に通っていました。
自分は今、慶應義塾大学の3年生の年なんですけど、3年生ではなく、休学していたので2年生です。
NPO法人と株式会社の2つ、会社をやってます。

NPO法人(ムラツムギ)のほうは、「地域活性化ができない地域をどうやって閉じるのか」っていうことを事業にしています。まちづくりって、よその人たちが来て地域活性化をやってるっていう形をよく見受ける気がします。
果たしてそれは、地元にねざして生活していた人たちが望んでいることなのだろうか、って考えた時に、どうやってその地域を閉じるのかを見せることって大事だなって思ったので始めました。

そこから「終わり」や「閉じること」に興味を持ったので、葬式に関するwebのサービス作ったりとかしてます。(株式会社むじょう

地方留学したきっかけ

–地域みらい留学をした理由はなんですか?

釣りをしたかったからです。隠岐島前高校に入った理由も、趣味の釣りをする環境に良さそうだから行きました。他に希望していた高校は特になかったですね。隠岐島前高校一択で考えてました。

NHKで島前高校が取り上げられていたのを見て、山と海しかないところに高校あるんだ、って思ったのがきっかけです。ヒトツナギ部(隠岐島前高校の部活)がやってる活動に、ヒトツナギの旅(島外の学生と島内の学生を接続するキャンプ)っていう4泊5日くらいの合宿みたいなものがあって、それに参加してみたんですよ。それで、結構この島面白いなっていうか、魚釣れるなって思って(笑)だから、ここに来ようって決めましたね。

 

研究したり、企画したり…

–海藻の研究をされていたそうですね。

僕は帰宅部だったから、ずっと暇でした。夕方とか、海を眺めてると潮が引いたり満ちたりしていくんですが、満潮なのに水が被ってないところに生えてる海苔があって。なんでわざわざあんな過酷そうなところに海苔が生えてるんだろう、って思って海藻の研究してました。

東京海洋大学のとある教授が、海藻研究をするプレハブみたいなのを持ってて、そこで研究してるの知ってたから、「なんでこの海苔は、干からびるところにわざわざ生えてるんですか」って訊きに行きました。そうしたら、「知らない」って言われて。でも調べようよって誘われたので、じゃあやろうかな〜って思って始めました。研究の基礎というか理系研究のやり方みたいなのはそこで教えてもらいましたね。

海藻の研究は高校3年間、趣味でやってたかもしれないです。海苔つんで、紙に挟んで、乾かして、標本作って、標本が何百本になって。それを眺めて、「ああ、海苔だな」みたいな(笑)

 

–「東京いかぁや大作戦」とはなんですか?

僕はシンプルに、じいちゃんばあちゃんが好きで、今も重度訪問介護などの介護系の資格を持ってるんですけど、そういう福祉的なことに興味を持っていたんです。島にいた時は、老人ホームによく遊びに行って、そこに入ってるばあちゃんとかと仲良くなったりしてました。

ある日、老人ホームの局長から相談を受けて、「施設のばあちゃんが『死ぬ前に東京行きたい』って言ってるから、なにかできないかな」って言われて。だから、じいちゃんばあちゃんが自分で稼いだお金で自分で東京に行く、「東京いかぁや大作戦」っていう企画を作りました。

これってめちゃくちゃいいし、生きがいですよね。この歳になって目標を持つってほぼないし、しかも自分でお金を稼ぐなんてなかなかできないけど。でもそれを僕らがサポートして、そのばあちゃん達が働いて、自分で稼いだお金で東京行く。それが、生き生きと死ぬことにつながっていきます。

この企画、結構お金集まったんです。何人か行けるくらいの形になったんですが、一番前で企画を引っ張っていたばあさんが体調悪くなっちゃって、大阪の息子さんのところに行くために島から出ました。島に病院がないから、島で死にたくても死ねないわけです。その人がいないから、他のばあさん達もやる気が出なくなったので、じゃあ一回ストップしようかという形になり、実際東京には来れていません。
でも、そこまでの経過はめっちゃ楽しかったし、よかった。島全体を巻き込んでやった企画になりました。

 

寮改革

–寮改革をされていたんですか?

寮改革はしたくてしていたわけではなくて、生活しづらかったから変えていたって感じです。できて間もなかったから、特にルールとかはないんですよ。僕らが入学した時に1代目が卒業したので、僕が4代目の寮長でした。

寮則は元々あったんですけど、それを結構変えてましたね。あとは、寮の名前が「島前研修交流センター」っていうんですけど、「交流センター」って名前がついているのにも関わらず、寮生しか入っちゃいけない雰囲気で。でもそういう名前がついてるなら、交流センターっぽく使えるようにした方が絶対楽しい。だから「地域に開かれた寮」をコンセプトに、地域の人が気軽に来れるような企画をやってましたね。

あと「三燈蚤の市」っていう、寮のフリーマーケットみたいな企画は印象に残ってますね。結構、寮のカルチャーになってるような気がします。

–寮生同士では、何をしましたか?

時期によって、やることは変わります。3月末だったら山菜採ってくるし、4月頭は筍をみんなで採りに行ったりとか、でかい魚がつれたらみんなで食べるし、あと学校の校庭に畑を作ったりしてました。今はヤギ飼ったりしてます。なんで飼ってるのかはわからないけど、僕が卒業してから飼ってるらしいです。

大人に、やっていい?って訊いて、許可が出たらやろうみたいな感じで、結構フットワーク軽くやってました。
ある日、寮生でライブやろうぜってなって、学校から楽器とかドラムとか持ってきて、騒ぐみたいなこともありました(笑)みんなでお金出し合って、DJできるヤツがいるからミラーボール買って、ライブみたいなことをしてました。日々暇なので、日々面白くしていましたね。

 

高校生の頃の経験は、生かされている?

–今の活動は、高校時代の経験が繋がってたりしますか?

めっちゃ繋がってる感じはします。
僕が留学していた海士町(あまちょう)って、地域活性化の先進事例みたいな成功例みたいな感じで取り上げられがちなんです。でも実際に行ってそこで見たリアルは、地域活性化の成功でもなんでもなくて、普通に生活者がいる普通の集落。その集落も10年後、今住んでる人たちが亡くなったら、人いなくなるんだろうなっていう集落がたくさんあります。

そこに住んでる人たちって、最後の人手になりうるわけです。別にその人たちは悪くないのにも関わらず、たまたま、この時代に生まれたからその節目に立たされて、自分の代で集落を終わらせるってことに罪悪感とか後ろめたさを感じながら死んでいくのであって。

そこに「どうしたら生き生きと死んでいけるんだろうか」っていう問いがあって、そこから「死に対するタブー視」みたいなものを考え始めました。終わっちゃいけないとか死んじゃうことへのタブーとか、あと部活辞める時とか言いづらいとかあるじゃないですか。そういう「終わり」に対するタブーとかってなんなんだろうね、っていうのから始まって、今の活動に繋がっています。

メッセージ

–中学生へメッセージお願いします。

環境を変えることも、もちろん良いと思います。
寮がある高校に対して言うと、同じ屋根の下で47都道府県いろんなところから集まった人たちが、一つの屋根の下に集められて過ごす3年間ことって、基本的には今しか経験できないこと。それ以降は絶対ないし、そんなことを経験できることは結構大きいと思います。

あとは中学卒業してからすぐに親元離れるのは、それもやたらに経験できることではないです。離れるからこそわかること、得られるものもあるはずなので、それを楽しめる人は地域みらい留学を考えてみたら良いんじゃないでしょうか。

 

 

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