沖縄戦の歴史を残す団体『沖縄戦遺骨収容国吉勇応援会』について

沖縄戦の歴史を残す団体『沖縄戦遺骨収容国吉勇応援会』について

『【パイセンに”沖縄戦遺骨収容国吉勇応援会”について聞いてみた】by西尾慧吾パイセン(沖縄戦遺骨収容国吉勇応援会学生共同代表・東京大学休学中・米国Yale大学に進学予定)』

<この記事の内容をざっくりと要約すると!>
これは「沖縄戦遺骨収容国吉勇応援会」という任意団体で学生共同代表を務めていらっしゃる方に、「沖縄戦」のことから当団体の活動内容についてのこと、さらには任意団体の学生共同代表を務めて思ったことをお聞きしてまとめた記事です。

ちょ、ちょっと待って何言ってるか全然理解できない!っていう人はこちら
➡︎「パイセンに聞いてみた!」って何?!、てか何このサイト?!

初めまして!西尾慧吾と申します!大学一年生をやりつつ、「沖縄戦遺骨収容国吉勇応援会」という任意団体で学生共同代表をしています。少しご縁があったので、今回は私の活動について簡単に紹介させていただこうと思います。最初に断っておきますが、当団体深刻な人手不足に悩んでおります笑(他の記事にはかっこいい動画やウェブページのリンクがはってあるようですが、そういうのを作る余裕すらありません汗)。この記事を読んだ方の中に、たった一人でも私の活動に興味を持って手伝ってくれる方がいたら… そんなある種「客引き」的な動機付けで執筆しております!笑 下の方にボランティア募集について書いているので、何か変わったプロジェクトをやってみたい方は是非ご連絡下さい!

● そもそも沖縄戦とは?

沖縄戦・遺骨収容・国吉勇… 何が何だかさっぱり、という感じだと思いますので、順を追って丁寧にご説明します。

まずは「沖縄戦」について。沖縄戦とはアジア=太平洋戦争末期、沖縄を舞台に日本と米英軍が戦った戦闘のことです。国体護持(天皇制温存)のための本土上陸阻止を目標とする日本軍は、沖縄を「捨石」にし、水際での持久戦を展開しました。その結果、沖縄戦は住民を巻き込む凄惨な地上戦となりました。一木一草まで戦力化するとの軍の方針の下、沖縄の住民は軍に取り込まれ(ひめゆり学徒隊や鉄血勤皇隊の話は有名かと思います)、生活物資や住居も軍に接収されました。さらに日本軍は、凄惨な地上戦の中で住民が身を寄せ合って避難していた壕から住民を追い出し、その壕を陣地などに転用しました。沖縄戦では約20万人もの方が犠牲になりましたが、その中で約12万が沖縄県出身者、実に当時沖縄にいた人の4人に1人が亡くなった計算になります。沖縄の人々は捨石作戦を採る日本軍と、米軍との間の板挟みに追い込まれ、最悪の場合強制集団死のような形態で無用の犠牲を強いられました。沖縄戦終結後も、沖縄は沖縄戦に端を欲する諸問題(基地問題など)に苦しめられています。

<写真>白梅学徒隊が大勢犠牲になった「白梅の塔の壕」。病院壕として使用されていた。

● 遺骨収容・国吉勇氏とは?

続いて「遺骨収容」と「国吉勇」について。先ほど言ったように、沖縄戦は凄惨な地上戦だったので、人々(民間人・軍人問わず)は壕の中で生活していました。また壕は住民の家代わりになっただけではなく、軍の陣地が置かれたり、壕の中に病院が作られたりしました(そのような壕を順に「陣地壕」「病院壕」と呼びます)。しかし多くの壕は米軍の攻撃にさらされ、火炎放射で焼き払われたり、爆雷で爆破させられたりしました。のような攻撃で犠牲になった方々のご遺骨・ご遺品は、沖縄戦終結後もずっと壕の中に取り残されることになったのです。国吉勇氏はそのような遺骨・遺品を戦後約60年間(2016年3月31日まで)ずっと収容してこられました。「埋まっている遺骨を日の当たるところに出してあげたい」という一心でほとんど休む間もなく収容に出かけられていました。毎日壕を掘れば遺骨か遺品が出土するという状況だったそうで、これまでのべ約6000人分の遺骨と二十数万点の遺品を収容されました。遺骨は合祀し、遺品は身元が特定できたものはご遺族に返還し、そうでないもの(合計十数万点)は国吉氏が自ら設立された戦争資料館に保管されています。体力低下を理由に引退されて以降,国吉氏はその資料館で遺品に関する説明に勤しんでおられます。

<写真> 遺品が所狭しと並ぶ国吉氏の資料館

● 「沖縄戦遺骨収容国吉勇応援会」の活動について

私たちの活動の軸は主に遺品展開催と国吉勇氏からのヒアリング調査の2つです。両方の活動で意識しているのは沖縄と内地との乖離を埋める」ということです。読者の皆様の中でも、沖縄戦についてしっかり学んだことのある人は少ないと思います。沖縄戦という凄惨な地上戦の歴史(しかもそれが少なからず日本軍の身勝手な作戦で引き起こされたのにもかかわらず)が日本中に共有されているわけではない―このような非対称な現実を解決するために沖縄戦のことを伝え広めるという理念を持って活動しています。

遺品展開催については読んで字のごとくです。国吉氏から50点ほどの遺品をお借りして、内地(主に関西中心)を巡りながら各地で展示会を開催しています。

国吉氏からのヒアリング調査は、国吉氏から遺品に関する情報をひたすら聞き取り記録する作業です。遺品と言っても、私のような初心者がぱっと見て内容がわかるものではありません。例えば、下の2枚の写真を見て、それぞれの遺品がどのようなものか判るでしょうか?

左の写真は火炎放射器の熱で曲がった注射器、右の写真は爆風の影響で吹き飛ばされた陶片と人骨とが火炎放射器の熱で融合したものです。このように説明すれば、遺品に刻み込まれた沖縄戦の爪痕を何とか解釈することが出来るかと思いますが、説明なしに遺品だけ見せられても何が何だかよくわからないというのが実情だと思います。国吉氏の遺品については、氏の頭の中に遺品に関する情報が詰め込まれているだけで、これまでしっかりとした記録がとられたことがほとんどありません。国吉氏は老齢のため、少しずつ記憶が朧気になってこられています。国吉氏が遺品についての説明を出来なくなったその瞬間、遺品に込められた沖縄戦の記憶は解読不能なものになってしまうのです。それを防ぐため、国吉氏の記憶を記録にする―それが私たちのヒアリング活動です。

★ヒアリングに関しての詳細を知りたい方はこちら
http://www.huffingtonpost.jp/keigo-nishio/battle-of-okinawa-items-left-behind_b_17047542.html

★沖縄戦遺骨収容国吉勇応援会について知りたい方はこちら(FBページです)
https://www.facebook.com/okinawakuniyoshi/

<写真>遺品(海軍・陸軍の水筒)を持つ国吉氏d

● ボランティア募集!

最後になりましたが、私の団体では学生ボランティアを募集しています。長期休暇など、都合の合うタイミングで構いませんので(できるだけ持続的に活動に協力して下さると助かりますが、一夏だけなど、単発の参加も大歓迎です!)、もし私の団体に興味を持っていただけたら、是非ボランティアにご応募下さい!仕事内容は要相談ですが、下にあげたものから選んでいただくことになるかと思います。

1. ヒアリングスタッフ<通年募集>
国吉氏へのヒアリング調査を、実際沖縄に渡航して行っていただきます。ヒアリングは原則午前中で終わるので、午後は自由に観光していただけます。少し変わった沖縄旅行がしたい方は是非ご検討下さい!(かなり人手が足りず困っているので、よろしくお願いします!)
2. ウェブデザインスタッフ<通年募集>
当団体には現在ウェブデザインの技術者がおらず、公式HPを開けない状態になっています… もしウェブデザインが出来る方がいらっしゃれば、HP開設とメンテナンスにご協力いただければ助かります!
3. 展示会当日スタッフ<展示会開催時期のみ募集>
展示会の設営や当日の運営(お客様対応)などのお手伝いを行っていただきます。数日で終わるので、単発で参加したい方や、沖縄まで渡航するお金がない方がこちらをご検討下さい。

ボランティアにご協力いただける方は、団体のFBページ(https://www.facebook.com/okinawakuniyoshi/)へ直接メッセージをお送り下さい!FBをされていない方は、校外プログラム大全のお問い合わせまでご一報お願いします!

駄文でしたが最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。一人でも興味を持って下さる方がいれば幸いです。それでは読者の皆様とどこかでお会いできることを願って…

【校外プログラム体験談「パイセンに聞いてみた!」をさらに読みたい方はこちら

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