【『障害も個性』なんて嘘に惑わされるな!】脚を失った高校生が語る身体障害者のリアル

【『障害も個性』なんて嘘に惑わされるな!】脚を失った高校生が語る身体障害者のリアル

皆さんこんにちは、翼です。今回ご紹介するのは、イベントでもプログラムでもありません。事故で体に障害を負ったとある男子高校生が行ったスピーチを基にした意見文です。少々過激なタイトルを冠したこの記事ですが、今回お伝えするのは、綺麗事でもなんでもなく、紛うことのないリアルです。ではまず、本人からのメッセージを一つご紹介してからはじめていきましょう。

「四肢か五感1つでもなくしてから出直せ!」

ノーマライゼーションとは1950年代に北欧諸国から始まった社会福祉をめぐる社会理念の一つで「障害者も健常者と同様の生活ができるように支援すべき」という考え方を表しています。聡明であろう方々はこれを聞いて、『障害も個性』という素晴らしいワードが頭に浮かぶことでしょう。素晴らしいですね、障害も個性にしてしまえば差別もなくなり、みんなハッピーになることでしょう。

馬鹿なことを言うんじゃない!

僕からすればそんな言葉は、現状に満足している健常者目線のタダの自己満足、自己陶酔としか思えません。なにより、この考え方には障害者からの目線が欠如しています。この理念を語る人たちの大半は足を失ったことも、全身に火傷を負ったことも、十年以上車椅子で生活したこともないでしょうから仕方がないのです。だから、僕のような障害者にはそんな人たちの個性だなんだという主張は何も響きません。そりゃあそうですよ、満ち足りていて、欠けたことが一度も無い人に、満ち足りず、欠けている人たちの気持ちが分かるなんて道理があるわけ無いですから。また、このことについては追々深掘りしていくので楽しみにして読み進めてください。さて、次は僕が障害者として生きてきて普段思っている身も蓋もないことについてお話ししましょう(笑)

障害者で連想されるものの1つに障害者手帳があると思います。僕が持っている障害者手帳は一級の物です。一級にもなると、各種公共交通機関の割引、公営の動物園の入園料の本人及び介護者分無料etc…ここでは書き切れないほどの特典があります。正直に言います、僕は障害者手帳のことが大好きです。何なら愛しています(笑)もちろん、これだけの特典があるのも税金があってこそというのは重々承知しています。でも、良いじゃないですか、僕たちは日々健常者の想像を遙かに超える我慢をしているのですから。僕に限って言えば友達が楽しそうに参加している体育、プールには一度も参加したことがないですし、遊園地に行っても絶叫系は乗れないですし、大自然なんて車椅子では、まずもって入れないのです。その代わり、入園料の割引や、遊園地のショーの優先席・アトラクションでの特別対応といった物でいくらかの補填をしてるのです。

ここで僕が大好きな東京ディズニーリゾートの障害者手帳特典を紹介します

※ディスアビリティアクセスサービス(旧ゲストアシスタントカード);アトラクションの待ち時間を待機列以外の場所で過ごすことができるシステム

代表的な物としてこれらの物があり、僕はそれをありがたく活用させて貰っています。これらの待遇で普段のどうしようもないものを少しばかり解消しているのです。

さて、この記事の冒頭でノーマライゼーションについて軽く触れましたが、ここからは僕の考えをより深く話していこうと思います。先ほど散々文句を言いましたが、正直なところ考え方は前向きで悪くは無いと思います。しかし、それはあくまでも障害者自身が語る時に限ってです。障害というものは一生自分を縛り付ける呪縛です。それを負ったことも無い健常者が外から勝手に個性だ何だと言うのはあまりにも無責任です。もちろん、個人として、自分の障害を個性として捉えている障害者の方々が少なくないことも知っています。しかし、それはあくまでも個々人での考え方であり、それをノーマライゼーションなどという高尚な言葉で飾り付け、あまつさえそれを社会の常識にまで仕立て上げてしまおうだなんて、自身の障害に苛まれ、縛られ、苦闘しながらも自分を保ち強く生きようとする、人たちを愚弄している。僕はそう強く感じます。この考え方をひどく悲観的と捉える健常者もいるでしょう、ここまで読んでもそんなことを思う方々に僕から1つ

うるせえ!四肢か五感1つでもなくしてから出直せ!

失礼、取り乱しました。まとめると、障害が個性だと言って良いのは当事者のみで、個々人の中だけの話であるべきということです。健常者は障害のことについてはどれだけお勉強したとしても部外者でしかないのです、そんな人たちが勝手に障害とは何たるかを決めてしまうのはそれこそ、無責任な綺麗事としか思えません。僕はそんな無責任な健常者が増えないことを切に願うばかりです。

こんなとんでもない事ばかり言う僕にも友達がいます。僕は車椅子なので移動は遅いし時には車椅子を押して貰うこともあります。しかし、友達は文句も言わずにそっと手を差し伸べてくれます。僕はそんな友達に支えられて生きていけています。人間とは本来、異物を嫌う生き物だそうです。ですが、人間には理性という物があります。そのおかげで仮に相手が異物だとしても嫌わずに親身になれるのだと思います。ここで、僕が友達にして貰って嬉かったことを紹介します。もし、この記事を読んでいるあなたの周りにも障害者の友達がいたら、是非ともやってあげてください。

車椅子だと体がつっかえてしまい落とした物が拾えないことが多いので気づいたときは拾ってくれると喜びます

急いでも車椅子のスピードはたかが知れているので、あなたが体力自慢で、急いでいる車椅子の友達がいたら、爆速で押してあげてください。

※ある程度の慣れ、信頼が無いとひたすら恐怖なので爆速で押すときはお気をつけて(笑)

これは、中学の卒業式練習で体育館から教室への移動を繰り返し続けた結果、アイコンタクトのみで動けるほどに意志の疎通がなされました。正直感動しました。プロの仕事に思えるほどに。

思い出深いものから日常のことまで、ここに挙げていくときりがありませんが、これだけでも僕が友達に支えられていることが伝わったと思います。障害者は思ったよりも不自由することが多いので、気になった時は声をかけてあげてください。

ここで、番外編です。町中で車椅子の人に出会ったときに頭の隅に置いておいて頂きたい事をお話しします。

前述の通りに車椅子だと体がつっかえてしまい落としたものがとても拾いにくいので見かけたときは拾って頂けるとありがたいです。

車椅子の生活の共であるエレベーターについてです。僕がエレベーターに乗ろうとすると、親切に手で扉を押さえてくださる方が非常に多いです。本当に助かっています。本当に助かっているのですが、1つ僕の思いの丈を聞いて下さい。

轢きそうで怖いんです!

エレベーターの扉の多くは幅が狭いため、手で押さえてしまうと余計に狭くなってしまいます。僕に親切にしてくださる方を轢いてしまうのは非常に心苦しいので、めちゃめちゃ気をつけて運転するのですが、車椅子歴10年以上の僕とて人間なので、間違えて轢いてしまうかもしれません。それを防ぐためにも、外の上下ボタンで開けて頂けるとありがたいです。

さて、ここまであっちへこっちへ迷走してきたこの記事も終わりが近づいてきました。この記事も現代文の常識に丁寧に乗っ取り最後に全体のまとめと、言いたいことを書かせて頂きます。ということで『区別』についてお話ししたいと思います。障害者手帳の話からも分かるように、僕たち障害者は、国や社会の制度により大きく手助けされて生活しています。しかし、それはあくまでも、僕たちが「障害者」として区別をされているからこそなのです。だからこそ僕は障害者に対して『区別』が必要であると考えます。分けられるからこそ、保証が受けられ、そこで多少の補填ができるのです。もちろんその保証も、健常者の支えが無いと成り立たないのも事実です。そこは人間が人間たる所以の「心」という物があってこそだと僕は思います。その心さえあれば『区別』こそすれど、『差別』なんて起きないと確信しています。なぜならば、僕の周りの限られた環境にすら多くの心ある人たちがいるからです。もちろん、世の中はそんな優しい人ばかりで無い事も重々承知しています。しかし、そんな、人の心も持たないような人でなし共に負けるほど、人間は腐っていないと思います。そして、重ね重ね言いますが、障害を個性などと呼び変えるだけで差別がなくなるなんて甘い考えはくれぐれも持たないでください。そんな頭がお花畑なことはあり得ません。健常者と障害者の間には、決して壊すことのできない大きな大きな壁があるのです。この記事を最後まで読んでくださった聡明なあなた方ならば分かって頂けるはずです。そして、あなたの周りに困っている障害者の人がいたら優しく手を差し伸べてあげてください。どうか人の心を忘れぬようお願いします。


いかがでしたか。冒頭でも触れましたが、こちらは私がこの車椅子の友人に依頼して書いてもらった文章です。本来は友人に記事執筆の協力を仰ぐことはないのですが、彼のスピーチに感銘を受け、「これは多くの人に届けなければいけない」と思い、今回は特別に、この記事執筆を行うに至りました。健常者にはわからない、障害を抱えた人の本音。ここまで生々しい意見に触れることはそうそうないと思います。私自身も彼の存在によって、障害というものをより身近に感じ、それに対してどう向き合うべきなのか、どのような配慮をすべきなのか考えることができました。問題を自分自身に関係する身近なものとして、捉えられるようになることが重要ですね。

※「障害」という言葉は近年、その表記が当事者の存在を害とする社会の価値観を助長するなどの意見もあり「障がい」や「障碍」と表記されることもありますが、今回は記事執筆協力者との相談の上、本人の意向を尊重し「障害」と表記いたしました。なお、こちらの判断は、内閣府『「しょうがい」の表記に関する検討結果について』に基づくものです。

参考文献:内閣府 「障害」の表記に関する検討結果https://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/kaikaku/s_kaigi/k_26/pdf/s2.pdf

-ご挨拶-

私、田中翼は本記事を最後に校プロを引退いたします。約2年の在籍期間で、日本全国の高校生とリモートで活動し、Webサイトを運営するという、高校生にしてはちょっと特別な経験ができました。私は4年間続けていた陸上長距離をやめ、校プロに入る決断をしたのですが、今でもその当時の僕は良い決断をしたと断言できます。この記事を読んでくださってる皆さんも、新しいことに挑戦する気持ちを忘れず、今後も精進してください。今までありがとうございました。そして、今後とも校プロをよろしくお願いします。

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